やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

経験を活かして次の環境に進もう

 私は9/30に定年退職し、現在子会社に転籍している。元々6年前に出向になっていたので、環境が変わったわけではなかったが、決められた2年半をがんばろうと、気持ちを新たにしていた。ところが、突然4月から本社に吸収合併されることとなった。決して業績が悪かったわけではないが、将来的な人手不足と事業の効率化で、この決断となった。

 全員が好条件で本社に転籍できることになり、私も今の条件そのままで残り2年の勤務がそれなりの処遇で保証されたので、ひとまずホッとしている。しかも事業はそのまま継続なので、メンバーも職務も全員がこれまでどおり変わらないので、良かったと思う。それにしても、変わったばかりの半年でまた変わるのって、どこかで経験したような。そう、2008年に静岡に転勤したときと似ている。

 当時、東京本社の事業の統括部門に所属していたが、工場が静岡にあったため、効率化を理由に静岡に転勤となった。ところが、10月に転勤したのだが、翌年の4月に半年後に工場を閉鎖すると発表があり、本社に戻ることになった。結果的に転勤して1年で戻ることになった。今回のことで、その時のことを思い出してしまった。

 転勤が決まったとき、娘は中学1年生、息子は小学5年生だった。子供たちに引っ越しすることを話したときのことをよく覚えている。話したときは状況がよく把握出来なかったのだと思うが、友達と別れなければならなかったり、転校しなければならなかったり、住む場所が変わることがわかり、息子は「多摩がいいよー、ここに居たいよー」と大声で泣き出し、娘も泣き出してまった。私もつらいのと申し訳ない気持ちで、涙が溢れてきて、テーブルに突っ伏して顔を隠しながら泣いた。子供たちは、その後けろっとして、娘は「向こうの部屋で遊ぼ!」と言って、息子を連れて行ってしまったのだが。

 静岡時代のことは、わずか1年ながらいろいろなことがあったので、いずれこのブログでも書いていこうと思う。娘は静岡にうまく馴染んで、友達がたくさんでき、部活をしたり、地元の祭りにも参加したりして、結構楽しんでいたと思う。一方息子は、いまいち馴染めず、後から聞くと、この頃のことは(おそらく無意識に)ほとんど覚えておらず、暗黒の歴史だったと大げさに言っていた。

 環境が変わることは、精神的にもかなりのプレッシャーになると思う。ましてや子供たちにとっては、とても大きな出来事だったと思う。しかし、この経験は必ず後の人生に活かされていると思うし、将来も活かされると思う。たとえいやな思い出だったとしても、その気持ちを自分で経験していることが、他人の気持ちをわかることにもつながる。今の教師の仕事にも気づかないところで、活かされているのではないだろうか。

 私は、この年になって環境が変化しても、残りの人生で活かせることは、そんなにないだろうが、逆にこれまでの経験を活かして、次の環境に進んでいきたいと思っている。