やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

京都での暮らしの中の風景の思い出

  私はこれまで名古屋、京都、静岡、東京に住んだことがあり、それぞれ良いところがあり、独特の文化がある。京都での暮らしの中の風景で、私が感じた思い出を書きたいと思う。ただし、40年前のことであり、しかも学生の時代の個人的な視点であるのであしからず。

 京都は観光の街であるから、バスがたくさん走っている。私の下宿の最寄りのバス停から大学に行くまでに3路線走っており、どれに乗っても行けるので便利だった。しかし、時刻表はあってないようなもので、時間どおりに来たことがない。というか、待っていれば2〜3分で必ずどれかのバスが来た。たまに1台が遅れてくると、3台立て続けに来ることもある。それゆえ、本数の多い時間帯は、時刻表にも「2〜3分間隔」と書いてあるだけである。

 当時は50ccのスクーター、いわゆる原付が普及した時期で、京都に住んでいる7〜8割の学生が持っているのではないかと思うほど、街にはスクーターであふれていた。中古であれば2〜3万円で買えるものもあった。京都の街は狭いので、スクーターでちょっと走って移動するのに非常に便利であった。まだヘルメットが義務化されていなかったので、女子学生も風を切って、ものすごい顔をして走っていた。ちなみに私は、地元の友人の影響で貧乏なくせに中型二輪を買ってしまったので、スクーターは持っていなかった。

 京都の街は山に囲まれた盆地で、大文字焼きで有名な京都五山にそれぞれ「大文字」、「妙法」、「舟形」、「左大文字」、「鳥居形」と書かれた文字が普段でも街から見える。五山送り火大文字焼き)は、毎年8/16に実施されるのだが、私は夏休みは実家に帰っていたので、残念ながらリアルタアイムで見たことはなかった。全国的には東山の「大文字」が有名だが、私になじみがあるのは大北山の「左大文字」で、京都駅から西大路通を北に走って「大」の字が大きく見えてくると、京都に戻ってきた気がしたものだ。

 京都の街は景観を重視することから、条例により建物の高さ制限を設けているため、高層のビルやマンションが建っていない。そのため、おそらく私が住んでいた頃と比べても、見た目は大きく変わっていないだろう。ただ、当時は京都駅の駅ビルは無かったし、地下鉄も走っていなかった。実家から帰ってくるとき、京都タワーが見えると、京都に帰ってきたと感じていたが、駅ビルが建ってから初めて京都に行った時に、駅から京都タワーが見えなくなっていて、ちょっとショックを受けた記憶がある。

 便利になるのは良いと思うが、歴史的建造物や伝統は残していってほしいと思う。この年になって、お寺や歴史の良さがようやくわかってきたので、許されるならば、しばらく京都に滞在して、ゆっくり過ごしてみたいとも思うのであった。