やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

京都の身近な観光地で過ごした思い出①(お寺編)

 大学時代に京都に住んだことがあると言うと、うらやましがられるが、実際に住んでいると、あまり実感はなかった。普段はただの貧乏学生で、お寺に観光に行くわけではないし、お土産屋に行くわけではない。とくに若い頃はお寺にあまり興味が無かったので、わざわざ観光しようとは考えていなかった。

 とはいうものの、有名なお寺や神社、歴史で習ったことのある名所や地名が身近にあり、暇なときは立ち寄ったりしていたことも事実である。そこで、私の生活の中で関わった観光地の一部を、思い出の記録として紹介しようと思う。言い換えれば、40年前の学生視点の観光案内である。

 私が住んでいた右京区の下宿から衣笠山のふもとにある大学まで、バスで10分ほどであった。その道路は「きぬかけの路(みち)」と呼ばれ、通称「観光道路」と呼ばれていた。「きぬかけの路(みち)」の周辺には、仁和寺龍安寺妙心寺等持院金閣寺があり、そのうちの一部の思い出である。

 普段はバスで通り過ぎてしまうが、「仁和寺」は暇な時に途中で降りて見学したことがある。「仁和寺」は「御室桜」と呼ばれる遅咲きの八重桜が有名で、4月中旬からゴールデンウイークにかけて花見客で賑わっており、お寺なのに境内で敷物を敷いて酒を飲みながら(今は出来るか不明)、本格的に花見ができた。私は宴会まではしなかったが、初めてみた八重桜の見事な咲きっぷりに感動した記憶がある。

 大学から歩いて5分ほどのところに「金閣寺」があった。「金閣寺」はその見た目からお寺の中では個人的に気に入っていた。友人のDの下宿が近くにあったので、たまにDと一緒に見学に行っていた。当時は拝観料が100円だった記憶がある。ただし、ちょうど古都税の導入でもめていた時期で、いくつかの寺が反対して、その後「金閣寺」も一時期拝観停止となってしまって残念だった。金箔が貼り替えられてピカピカになったのは、私が卒業した後だったので、その当時は金が黒ずんでいてちょっと汚かったが、今より趣があった

 大学の裏手には、水上勉の小説「雁の寺」のモデルとなった「等持院」があり、たしか当時は無料で入れる庭があったと思う(今は不明)。縁側には灰皿が置いてあったので、講義と講義の間が空いているときはふらっと立ち寄って、日向ぼっこついでにタバコをふかしながら庭を眺めていたこともある。今思えば、とてもお寺に行く態度ではなかった。

 こうして書くと、十分京都を楽しんでいるように見えるが、まともに観光していたわけではなく、暇つぶしに公園のような感覚でお寺や名所に行っていたのかもしれない。さらに思い出したことがあるので、②に続く。