やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

今思えば京都での一人暮らしは良い経験になった

 先日、大学時代の友人と十数年ぶりに会って、飲みながら話していたら、その時代のことを思い出した。わずか4年間であったが、京都に住んだこと、ひとり暮らしをしたことは、良い経験になったと思う。今後、大学時代の思い出も、何回かに分けてブログに残していきたい。

 思えば40年ほど前になるが、私が入学する頃は、大学進学率もどんどん上昇している時代で、良い大学に行って、良い企業に入ることがステータスであった。私も、7〜8校受験したが、高望みをしていたこともあって、ことごとく不合格となった。最後に残った1校に望みを託していたが、正直あきらめていて、浪人の準備でもするかと思っていたところに合格電報が届いた。それがわが母校となる京都の某私立大学である。

 この頃は、受験勉強の反動で、大学に入学してしまうと、勉強せずに遊んでしまう人が多く(偏見?)、私もその1人だった。息子の大学時代と比較すると、今の大学生の方が勉強していると思う(これも偏見?)。時代的な背景も違うと思うが、今の若い人の方が、自分の目標を早くから具体的に決める人が多くなっているのかもしれない。当時と比べれば、今は選択肢も多く、価値観も多様化しているのだろう。

 総じて言えば、こんなに何もしなかった時代は他になかったと思う。もちろん、講義も受けたし、アルバイトもしたし、自炊もしたし、いろいろな遊びもした。しかし集中して取り組んだ勉強もなかったし、夢中になる趣味もなかった。夜遅くまで起きていて、昼まで寝ていることが多かったし、講義もよくサボったし、なるべくアルバイトもしたくなかった。もしもう一度大学生をやるならば、真面目に勉強しようとは思う。しかし、この何もしなかった時代も、自分にとってはいい経験になったと思っている。

 高校を出たばかりで、何も知らない状態でひとり暮らしをしたことは、本当に良い経験になった。役所への届け出から始まり、光熱費の契約、銀行の手続き、料理の仕方や蛍光灯の変え方一つとってもわからない。これまで親に甘えてやってもらったことを、すべて自分ひとりでやらなければならなくなった。今のように携帯電話もなければ、ネットで情報があふれているわけでもないし、コンビニだってない。人に聞いたり、本や雑誌で調べたりしてこなしていった。

 そんなことは、多くの人が当たり前に経験していることであろうが、それまでのほほんと暮らしていた私にとっては、自立できた良い経験になったと思う。もし大学時代も自宅から通って、そのまま社会人になっていたら、もっとつかえないサラリーマンになっていたであろう。

 こうして書き出すと、結構いろいろなエピソードを思い出してくるので、次の機会に書くことにしよう。