やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

大雪の中を高速道路に閉じ込められた思い出

 最近、大雪のため道路に何十台も車が立ち往生して、動けなくなっているニュースを聞くと、ちょうど25年前のこの時期のことを思い出す。1998年1月、名古屋に帰省する際、私も大雪のために高速道路に閉じ込められたことがあった。今となっては思い話であるが、大いに反省し、二度と起こしてはならないと誓った出来事であった。

 娘が3歳で、息子が1歳のときである。名古屋に4人で帰省する予定であったが、その日の夜から東京で雪が降る予報が出ていた。雪の予報は東京地区だけだったので、早めに東京を抜け出てしまえば大丈夫であろうと考え、確か会社を午後半休で帰ってきて、夕方までに家を出た。

 当時はまだ新東名も圏央道も横浜青葉ICもなかったので、東名高速道路に乗るため、横浜・町田ICに向かった。国道16号線のIC手前のところで雪が降ってきた。まだ大丈夫であろうと思っていたら、結構強く降ってきた。本来はここで引き返す判断をすべきであったが、この時点では早く東京を出てしまえば良いだろうと考えていた。しかもノーマルタイヤのうえ、タイヤチェーン不携帯であり、雪国の人が聞けば、無知で無謀であると言われたであろう。

 高速に入り、秦野中井ICを過ぎるまでは快調であったが、大井松田ICを過ぎたあたりから突然渋滞が始まり、そのうちピタリと動かなくなった。待っても、待っても動かない。そして、どんどん雪は強くなり、あっという間に前後の道に雪が積もっていく。あたりはすっかり暗くなっていた。さすがに焦ってきた。幼い子供たちを乗せているし、進むことも戻ることも出来ない。よく見ると、周りのほとんどがトラックだった。しばらく待っていたが、だんだん心細くなってきた。

 何か情報が無いかと、車を降りて後ろのトラックの運転手のところに行った。「わかんないなー、当分動かないんじゃない?」と気楽な返事だ。今度は道路脇にある、緊急連絡電話にかけてみた。幼い子供を乗せているので、出口まで誘導できないかと聞いてみたら、「他でも同じようなことが起こっていて混乱しており、情報収集しているところなので、すぐに行くことはできない」との返事だった。

 その頃は今のように情報網が発達しているわけではないし、今ほど危機管理体制がしっかりしていなかったと思われ、状況把握に時間がかかっているようだった。実はその頃には、東京では電車がストップして帰宅困難者が出ているほどで、大混乱しているとは、我々は知るよしもなかった。

 しばらくすると、路肩を走る車が通り過ぎた。そしてまたしばらくすると、何台かが路肩を通り過ぎていく。幸いにも子供たちは二人とも寝ていたので、騒ぐことはなかったが、もう何時間も状況が変わらないので、私もさすがに危機を感じてきた。ためらっていたが、ついに私も路肩を走ることを決心する。

 ノーマルタイヤなので、雪道は躊躇したが、ゆっくりアクセルを踏んだ。小型FF車だったことが幸いしたのか、車はゆっくりと進んだ。そして、路肩をしばらく進むと、ついに渋滞の原因がわかった。トラックが横滑りを起こしたらしく道を塞いでいた。そのため、後続のトラックが通れず、完全にストップしていたのだ。幸い路肩は通れたので、そのまま横を突っ切る。

 その後は、車線に戻ったが、当然まったく車は走っていなかった。次の鮎沢PAで、雪の中をトイレに駆け込んだ。その後、御殿場を過ぎると、ウソのようにまったく雪は無くなった。

 名古屋の実家に着いたのが、次の日の朝6時近くになり、実に12時間以上かかったことになる。名古屋は快晴で、これまで夢をみていたかのようだった。子供たちはぐっすり寝ていたため、元気いっぱいである。我々夫婦は緊張と寝不足でクタクタであった。

 このことは、場合によっては命にもかかわることであり、大いに反省した出来事であった。早め早めの冷静な判断が重要であると実感したのである。