やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

ヒーローになりそびれた話

 中学生のとき、陸上部に入った。特に足が速いわけでもなく、運動が得意なわけでもなかった。入学時に必ずどこかの部活に入らなければならなかったが、特にやりたいこともなかった。

 母親に相談したら、仲の良いご近所さんの息子で「3年生のH先輩が入っているから、陸上部にしたら?H先輩は勉強もできるし、運動もできるので、教えてもらったら足が速くなるかもよ」といって、私をその気にさせた。

 入ってみると部員は数人で、1年生は私一人だった。私はそんなことは、まったく気にしなかったが、ある程度できるのは3年生の先輩だけで、2年生の先輩たちも大して運動ができる感じではなかった

 かくして弱小陸上部は活動を続けたが、案の定、区の駅伝大会は最下位で、同じ中学校から出場した野球部にも負けるレベルだった。

 しかし、H先輩から教わった速く走るコツを忘れず、毎日コツコツと走っていると、少しは速くなるものである。クラスの中では上位に入れる程度には足が速くなっていた。

 3年生の運動会で、花形の200m✕4人リレーのメンバーでアンカーに選ばれた。私が陸上部だからというのもあるが、みんなアンカーは嫌だという理由だ。理由なき自信があった私は、すぐに引き受けた。

 ところが、運動会の1ヶ月ほど前に、足の親指の巻爪で、どうしても痛くてがまんできずに医者にいったら、親指の腫れている側の爪を、麻酔無しではがされた。激痛ってなんてもんではない。それから当分の間、走ることはおろか歩くこともままならなくなった。

 なんとか運動会の直前までには、まともに歩けるようにはなっていたので、ヒーローになりたい私は、母親の反対を押し切り出場することにした。走ることのイメージは残っていたので、バトンの受け渡しのみしっかり練習した。

 そして運動会当日、リレーは始まった。我々チームは想像どおり中盤をキープしていたが、3番手が遅れ6人中4位でバトンを渡された。バトンをもらってすぐに加速し、100mまでに2人を抜いた。トップとは少し距離があったが、ゴール直前になんとか追いつける自信があった。1位でテープを切るイメージをした。

 とその時、股関節から腿の横あたりにかけて違和感が生じた。やばい!と思ったが、このまま走れると思い、さらに加速したとたん、今度は股関節に痛みが走った。足を引きずり必死で走る。しかし、後続が抜かしていく。振り向くと最下位が追いついてきた。さすがに最下位だけは避けたいと思い、必死に走り5位でゴールした。まわりを見渡すと、何事もなかったかのようだった...。選手退場のときは歩けずに、友人におんぶされて医務室に入った。

 しばらくの間、親指をかばった歩き方をしていたことと、しばらく走っていないで、すぐに全力疾走したことなどのため、股関節のあたりを痛めたようだ。

 やはりヒーローは才能がある人がなるものだろうか。ヒーローになりそびれた話である。