やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

犬がちょっと苦手な理由の考察

 世の中、ずいぶん前からペットブームである。自宅のマンションの前は、広い公園につながっている遊歩道になっており、ひっきりなしに犬の散歩をしている人が通る。このあたりは、犬を飼っている家の方が多いのではないかと思うくらいだ。

 犬はかわいいと思うし、飼ってみたいとも思うが、きっと散歩は続かないし、最終的には自分より先に死んでしまうので、情が移っていたらもう耐えられない。だから犬は飼わないと思っている。しかし、それだけでなく根本的なところで犬が苦手な自分がいることに気づく。なぜだろうか。

 外を歩いているとき、前を散歩している犬が、突然私の前で恥ずかしがることもなく糞をする。犬に出くわしとき、9割以上の確率で私の目の前で糞をすると思うくらいだ。糞をさせることが目的の一つでもあるので、それは当然だろう。たまに道の角で散歩の犬に出くわして、大声で吠えられる。向こうも驚いたのだろうからしかたがない。犬の飼い主同士が集まり、自分の子供のごとく品評会が始まる。それは犬への愛情が強いためで、別にいいでしょう。糞がたまに落ちていて踏みそうになる。これはマナー違反だ。

 しかし、どれも犬が苦手な根本的な理由ではない気がする。きっと幼少期に何か原因があるはずだ。

 幼少期に住んでいた家の隣に一軒家があった。簡単な柵で仕切られているだけなので、なんとなく隙間から向こうが見える。その家では「シロ」という名前の犬を飼っていた。最近はペットとして品種改良されているため吠えない犬が多いが、昔は番犬として飼っているので気が荒く結構大きい声で吠える。

 シロは普段は鎖につながれているのだが、なぜか鎖がはずされている時があり、その場合は柵の間から家の庭に侵入してくる。庭で楽しく遊んでいた我々は大パニックである。すごい勢いで吠えながら追いかけてくるのだ。天国から地獄とはこのことだ。当然我々は泣き叫んで逃げ回り、家の中に逃げ込むまで追いかけられる。犬が苦手な理由は、きっとその恐怖体験が深層心理にあるに違いない。

 それにしても、結構な確率でシロの鎖が外されていた気がする。以前母親と昔話をしたときも、「隣の犬は、よく家の庭に入ってきたねぇ。鎖をし忘れるていることが多かったね。」と言っていた。

 もしかして、庭で遊んでいる子供の声がうるさくて、その都度飼い主がわざと鎖を外したのではないかと思うのは、勘繰り過ぎであろうか。