やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

トラブル イン 名古屋 Part2

 母は、糖尿病の影響で少し足が不自由であるが、シルバーカー(手押し車)や杖があれば、ゆっくりと歩くことができる。これまでどおり母を喫茶店に連れ出すために、施設のロビーで待っていると、なんと職員に押されて車イスに乗って出てきた。いったい、どうしたの?!

 話によると、便秘気味の母は、前日の便秘薬が効いて急激に出したため、頭の血が一気に下りたらしく、一瞬気を失い倒れてしまったとのこと。その際に、横向きに倒れたせいか、左目の上あたりに赤黒い痣ができていた。体の左側面や左足もぶつけた可能性があり、現在ほとんど痛みはないそうだが、大事を取って車イスに乗ってきたとのこと。本人も今日は外出するのをやめるとのこと。

 驚いたが、大事にならなくて良かった。施設内では面会は15分間とのことで、面会室で話すことにした。相変わらず口は達者で、元気そうで安心したが、今月で88歳になるため、歩くときは本当に気をつけてほしい。

 さて、今回のもう一つの目的である実家の片付けに向かった。予定より時間が多く取れたので、片付けも進むと思っていた。私は棚やテーブルの上に、乱雑に積み上がっている物や、棚の引き出しの中を、妻は洗面台とキッチンまわりの不要物の整理をした。始めると、もう大変。とにかく物が多い。ハサミや定規、鉛筆、消しゴム、ティッシュ、ビニール袋に紙袋、等々、同じ物がいろいろな場所からどんどん出てくる。老眼鏡や小型ラジオ、腕時計までも、何個も出てくる。妻も、「なんで、こんなに箸やスプーンがあるの?なんで同じ洗剤がたくさんあって、しかもなんで全部口が開いてるの?」とさすがに切れそうである。

 全部捨ててしまえばいいけれど、捨てるには分別しなければならない。一つ一つ確認して、5種類くらいの袋に分別しなければならないので、これが思っていた以上に時間がかかる。これは何ゴミ?と言って、いちいち検索して調べる。もはや取っておくものを吟味する余裕はない。こうして、翌日の午前中にかけて片付けをしたのであった。妻は菜箸をほとんど捨ててしまったことを気にして、眠れなかったそうだ。

 母はまだ健在なので、もちろん母の部屋は手を付けず、リビングや和室、洗面所やキッチンは見た目が寂しくならない程度にスッキリさせ、ほとんどの引き出しの中は空の状態になった。しかし、これもほんの一部にすぎず、物置と化している四畳半の部屋はまだ手つかずで、長期戦にもつれ込むことは必至である。

 昔の人は何でも捨てずに取っておくので、本当に物が多い。実家の片付けが大変だとよく聞くが、その一端を垣間見たのであった。これを反面教師として、自分はなるべく子どもたちに迷惑を欠けないように、生きている間に身の回りをすっきりさせておきたいと思うのであった。分別したゴミは、物置(のような部屋)に積み上げたので、後は姉にゴミ出しを託した。

 帰りは、昼食を途中で食べてから名古屋駅に向かおうと、家を出ようとしたとき、「あれ?!鍵がない!」ズボンのポケットに入れてあったはずの鍵がないのである。カバンの中を探しても無い。床に落ちてもいない。実家と自宅と自家用車の鍵が束ねてあり、結構かさばっているので、見落とすはずがない。まさかどこかのゴミ袋に?恐ろしいことは考えたくない。いったい鍵はどこに?次回に続く。

名古屋駅地下街からルーセントタワーに向かってのびる地下道「ルーセントアベニュー」の壁にはテーマ毎に色分けされた影絵が描かれていて、ちょっと楽しい。