やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

娘が誕生した時の思い出

 28年前の1995年5月に娘が誕生した。私にとっては初めての子供であった。生まれた直後に始めて自分の子供を抱いた感触や気持ちは、今でも覚えている。それは自分が親になった瞬間であり、自分の気持ちや考えも、これまでとは大きく変わった瞬間でもあった。その時の思い出である。

 1995年は、1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件と、大きな災害や事件があった年だった。4月頃に、お腹の赤ちゃんの発育状態が悪いとのことで、妻が2週間ほど入院して成長促進治療を受けていた。ちょうどその頃は、テレビでオウム真理教のニュースばかりをやっていたのですごく印象に残っている。

 生まれる日の夕方、陣痛が始まったので病院に行くとの連絡があり、私は会社の帰りに病院に直行した。当時はまだ立会い出産が一般的ではなかったので、分娩室の外の廊下のイスに座って待っていた。途中で分娩室に呼ばれて、「奥さんの腰をさすってあげてください」と助産婦さんに言われ、一生懸命さすったが、慣れない手つきでこわごわさすっていたため、妻に「そこじゃない!もっと強く!」と怒られ、あまり効果は無かったようだ。

 その後、分娩室を出され、廊下で随分待たされた。翌朝7時過ぎに娘が生まれ、再び分娩室に呼ばれた。妻の横を見ると、赤くてしわしわで、猿のような赤ちゃんがいた。助産婦さんに抱いてあげてくださいと言われ、ビビる私に赤ちゃんを手渡された。軽くて小さくて、どうしていいかわからず、オドオドしながら抱いた。母親よりも先に我が娘を抱いたことになる。父親になった実感がわかず、なんとも言えない複雑な気分だった。でも、何かが自分の中で変わった気がした。

 1週間の入院期間中も、赤ちゃん部屋にいる娘を毎日ガラス越しにながめ、動かない娘をずっとビデオに撮ったりしていた。退院後は妻とともに妻の実家に預かってもらった。そして1ヶ月後、いよいよ我が家に初めて娘がやってきた。もうその頃にはすっかり赤ちゃんらしくなり、もうかわいくてしょうがない。これまでは、自分のことを中心にしか考えなかった私だが、娘を抱きながら、この子のためなら死ねると、本気で思った瞬間であった。

 娘は体が小さかったせいか、昔から体が弱く病気がちであったが、いつも大声で元気に泣き、妻がお風呂に入っているわずかな時間だけでも泣き出し、私が抱いてもまったく泣き止まずに困ったものだった。歩き出すのも早く、ハイハイ期間が無くて、10ヶ月で歩き始めた。しゃべるのも早く、よくしゃべっていた。なつかしい思い出だ。

 そんな娘も2年前に結婚した。多くは望まない。いつまでも元気で幸せに暮らしてくれれば、それでよいと思う。でもたまには実家に顔を出してほしいなあ。

 1995年の明るい出来事。野茂英雄が米大リーグで活躍し新人賞を獲得。Windows95発売。ゆりかもめ開業。がんばろうKOBEでオリックスがリーグ優勝。テレビドラマ「愛していると言ってくれ」が話題。その主題歌の「LOVE LOVE LOVE」(DEAMS COME TRUE)が大ヒット。