やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

学生時代のアルバイトの思い出②(予備校編)

 学生時代のアルバイトで、寿司屋よりも長く続いたのは予備校のバイトである。といっても教える方ではなく掃除のバイトだ。これは2年近く続いたと思う。堀川丸太町にある駿台予備校で、地図で調べたらまだ存在しているようだ。現在、観光で人気の二条城のすぐ近くである。

 同じ高校出身の友人が先輩から引き継いだバイトで、人が足りないからと紹介された。仕事はいたって簡単で、授業の合間の黒板消しと、全授業終了後の教室のゴミ拾いである。平日の週3日ほどで、夕方から3〜4時間程度であった。

 おそらく掃除業者に委託しており、管理事務所に管理者のおじいさんが1人が駐在していて、定年退職後のおじいさん3名、バイト3名が1日のチームになっていた。管理者は机に座っているだけで、給与計算などの事務処理をしてたようだ。

 その頃は今のような通信教育などはないため、黒板を使った授業を行っていた。したがって、授業中は管理事務所に待機しており、授業と授業の合間の10分間で各教室の黒板を消しにいくのだ。とは言っても、2〜5階にそれぞれ教室が4〜5室づつあったので、10分の間にすべての教室の黒板を消さねばならないので、仕事内容のわりに人数が必要だった。

 授業中に管理事務所に待機している間は何をしているかというと、おじいさん連中と世間話をしているか、テレビを見ているかである。たしか水曜日は19時から「北斗の拳」を放映していて、みんなで楽しみにして見ていた。

 私がバイトに入る日は、なぜか私がリーダーになり、各時間帯の教室と人の割り振りを指示していた。それまでは引っ込み思案だと思っていたのだが、意外とこういうことに向いているのだと、自分で認識できたことが収穫だった。

 また、途中から他大学のバイト生も2名雇ったのだが、彼らとも仲良くなり、よく飲みに行ったりして、交流が広がったことも良かった点である。そのうち1人は実家がお寺で、将来は引き継ぐと言っていたが、その後は付き合いがないので、どうなっただろうか。

 それにしても、管理者のじいさんは一緒になってテレビを見たり、喋ったりしていたのだが、本当に仕事をしていたのだろうか。

 後から思えば、せっかく京都にいたので、旅館や観光案内など、観光地ならではのバイトをすればよかったと思う。きっと探せばいくらでもあっただろう。しかし、そのときはバイト自体もやりたくなかったので、そんなことは考えもしなかった。実は一日だけピンチヒッターで旅館のバイトをしたことがあるが、忙しいだけであまり楽しくなかった。まあそんなものだろう。