やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

学生時代のアルバイトの思い出①(寿司屋編)

 大学時代のアルバイトの思い出である。当時は、あまりアルバイトをしたくない怠け者であったが、極貧に耐えられなくなると、やむを得ずアルバイトをした。したがって、長く続いたものはなかったが、比較的長く続いたアルバイトが2つある。

 一つは、寿司屋でのバイトである。単に、自分の下宿から近かっただけの理由で選んだ。仕事は出前がメインで、後は店内でのお茶出しと片付け、および食器洗いである。週3日程度で、平日の夕方から3〜4時間の勤務だった。出前はスーパーカブで寿司を届けに行ったり、空の寿司桶を受け取りに行ったりする。バイクの運転は好きだったので、出前は楽しかった。

 アルバイト中の失敗が二つある。一つは、出前中に岡持ちを片手で提げて、狭い路地を運転していたところ、車とすれ違うときに端に寄り過ぎて、岡持ちを電柱に当ててしまった。やばいと思い、桶を開けると、寿司がいくつか寝転がっていたのと、飾りが崩れていた。良くないと思いながら、そっと手で直し、何もなかったかのように届けた。時効ということですみません。

 もうひとつの失敗は、出前に持っていく5人前くらいの大きな桶を受け取る時に、店内に落としてひっくり返してしまったことだ。もちろん、マスターにはすごい勢いで怒鳴られた。あやまるしかない。さすがの私もしばらく落ち込んでいた。すみません。

 京都ならではのエピソードでは、俳優の里見幸太郎の自宅に出前を届けたことだ。同じアルバイト仲間は、京都のお妾さんの家だよと、うそぶいていたが、表札が里見となっていたし、すごい豪邸だったので、おそらく京都にある自宅だったと思う。でも、ちょっと美人の若い女性が玄関に受け取りに出てきたことは事実である。

 このバイトの何が良かったというと、夕食があったことだ。仕事が終了後、寿司屋のおかみさんが、毎回手作りの夕食を出してくれた。それがとてもおいしくて、とてもうれしかったし、助かった。そして、マスターは、必ず押し寿司を作って、帰りに持たせてくれた。正直にいうと、夕食をたくさん食べた後に、押し寿司はヘビーだったので、持ち帰ると同じ下宿の同僚に分け与えていた。同僚は味をしめて、私がバイトの曜日は待ち構えているようになった。

 結局、1年程度でやめてしまった。どちらかというと、人見知りで、引っ込み思案だったため、いまひとつ寿司屋になじめなかった。マスターもおかみさんもすごくいい人で、すごくよくしてくれた。世間知らずで、仕事に関する責任感と緊張感はなく、マスターに説教されたこともあった。自分が愛想よく、前向きであれば、もっと深く付き合えたのかもしれない。今思えば、恥ずかしくて、反省すべきことばかりであったが、これが少しでもよい経験になったのだと思いたい。

 もう一つのアルバイトの思い出は次回に続く。