亡き父が残したコラムの原稿をブログ上に残し、それに対する補足と感想を述べたい。その7つ目を掲載する。
<物真似は若さの特権だ ー今も昔も変わらないものー>
『Y君は佐渡の人で、共に学んだ友である。「雪が積もると、学校の帰りにキツネに遭う。追うとさっと逃げ、ひょいと振り返り、小手をかざしてこちらを見る。その真似が癖になって、叱られたものさ」そう言ってやってみせた。四十年後。声帯をなくした私は食道発生訓練が癖になり、会社の帰り道「ガー」「ガー」とやる。横の小道から出てきた少年が「ガー」「ガー」とやりながらひょいと振り返って私を見てにやっと笑った。私はY君のキツネを思い出して思わずにやっと笑った。』(父のコラムより)
父は、喉頭がんのため声帯を切除し、しゃべれなくなったが、食道発生法を習得し、他人と会話ができるようになるほどに回復した。この「ガー」「ガー」というのは、食道から音を出すための練習で、その発生練習中の頃から私も聞いていたので、とても記憶がある。文中の子供は、それを聞いてモノマネしたものである。
本来、モノマネは子供の専売特許であると思う。赤ちゃんは、最初はお母さんの言葉をマネてしゃべれるようになる。そして、子供時代にテレビを見てよくモノマネをしたのは、誰もが経験があるだろう。
しかし、大人になってからでも、スポーツは上手い人のマネをして上達するし、外国語もスピーチを聞いて習得する。父の食道発生法も、ある意味声のモノマネなのだろう。人間は、年をとってもモノマネで成長していけるのかもしれない。
ところで、私が若い頃モノマネブームがあった、コロッケや清水あきらなど、お笑い四天王の頃である。その頃のモノマネは、特徴を大げさに表現する笑いを取るモノマネで、お腹をかかえて笑った記憶がある。
最近のモノマネは本人そっくりで、うますぎて笑いではなく感心して見てしまう。どちらがよいかは、見る人の好みであるが、私個人としては、昔のモノマネの方が好みかな。しかし、ここまでモノマネや歌マネがうまくなると、昔のモノマネでは物足りなくなってきてしまうので、不思議なものだ。
私もこの年からでも、何か習得できるものがあるだろうか。人間って、一生モノマネを続けて成長していくのだなと思う。