やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

言えないことだってあるさ(父が残したコラム②)

亡き父が残したコラムの原稿をブログ上に残し、それに対する補足と感想を述べたい。その2つ目を掲載する。

<言えないことだってあるさ ー誰もしゃべらないー>

『S君と私は9才だった。伊勢への海上輸送路「勢田川」に舟で釣りに出た。動力は櫓と竹竿である。私が錨を上げてるときS君が舟を進めたので私は頭から飛び込んだ。泳げない私はS君の機転で出された竹竿で命拾いした。二人はすぐ帰って遂に誰にも話さなかった。それから五十年、私は喉頭切除手術の前になにげなく「嫌だな」とつぶやいて、主治医に「切られる方は寝てればよいが切る方がは重労働なんだ」と叱られた。あれから三年、遂に誰も私に「ガン」とは言わないのである。』(父のコラムより抜粋)

 父がちょうど今の私くらいの年、つまり約35年くらい前になるが、喉頭がんの手術で声帯を切除した。当時はすでにガンも治る病気になっていたが、まだ今のように芸能人が公表したり、早期発見・早期治療が当たり前になっておらず、昔からの死のイメージがまだ残っていた。

 母は、本人には言わないでくれと皆に言っていたようで、それで父は誰からも聞くことがなかったのだと思う。医者も家族の同意がなければ、本人に告知しない時代だった。しかし、感がよく頭のよかった父は、ちょっと調べれば自分がガンであることは、容易に判断できたのであろう。

 コラムの話を読んで思い出したことがある。私の実家の裏に「矢田川」という川が流れており、子供のころはたまに遊びに言ったが、今のようにきれいに整備されておらず、堤防は雑草が背の高さ近くまで生い茂り、ゴミが散乱していた。川は、上流の瀬戸から瀬戸物(陶器)を作る際の土が流されており、黄土色の泥水が流れていた。結構流れも早く、母からは川には絶対に入るなと言われていた。

 ある日私は近所の友達のT君に誘われて一緒に川に遊びに行った。川は少し段差になったところがあり、小さな滝のようなものが出来ていて、T君は滝の上を歩いて向こう岸へ渡ってみようと言った。そして母の忠告を無視して川に入った。

 川は思ったよりも流れが早く、足が取られそうになる。私はおそるおそる歩いていたが、T君はどんどん先にいってしまう。川の3分の1ほど進み、足を上げたとき、片方のサンダルを川に流してしまった。サンダルは滝の下に落ち、水に飲み込まれていった。

 しばらくするとサンダルが滝の下に水にもまれて同じ箇所に浮いていた。手を伸ばせが取れそうな距離だが、私は怖くてできなかった。サンダルの片方が無い理由を、なんて母に説明すればよいのか、一生懸命考えていた。

 するとT君が俺が取ってやると言って手を伸ばした。T君が流されないか、怖くて怖くてしょうがなかった。T君はサンダルを掴み見事に取ることができた。T君はもう戻ろうと言った。

 父のエピソードのように、川に落ちたわけじゃなく、結果的にたいしたことではなのだが、一歩間違えれば川に流されてしまう可能性もあった。もちろん、このことは母には話していない。

 それにしても、私が知る限り父は泳ぎが得意だった。子供のころは毎日のように川で泳いでいたと言っていた。この出来事があって泳ぎを練習したのか、この話はが作り話であるかは、確かめるすべがない。