やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

ブログを始めようと思い立ったのは・・・

 今年(2022年)7月某日、久しぶりに行った名古屋の実家からの帰りの電車の中で、数日前から違和感はあったのだが、左側のお尻から、腿の裏、ふくらはぎにかけて痛みが走り、立っていられなくなった。翌日整形外科で受診すると、「椎間板ヘルニア」との診断であった。これが真夏の闘病生活の始まりである。その後、蓄膿症、じんましん、挙げ句の果てに新型コロナ陽性となり、約2ヶ月の間に立て続けに病気にこれは、親不孝の罰があたったか、六星占術の大殺界の年に入ったからか、それともたんなる偶然か。

 考えて見ると9月で59歳となり、1年後は還暦である。寄る年波には勝てないということか。そこでふと思った。私は60歳を過ぎたらどうするのか?会社退職後はどうするのか?巷で言われている、無趣味、手に職なし、会社以外の友人少ない、家でゴロゴロして早々に認知症になる、といった典型的な老人になるのではないか!この状況に危機感を感じ、何か新しく始められることはないかと病床において考えた。

 実家で写真の整理をしていたら、自分の幼少期の写真を見つけた。写真を見ながら母親と話をしていると断片的に記憶が蘇る。幼少期のエピソードは、頭の中の映像とともに微かに記憶に残っているものだ。この頭の中にある記憶を何かに残しておきたい。自分の経験した歴史を少しでも記録しておくことはできないか。多少脚色があってもいいではないかと、ぼんやり思った。

 この4月から教師になった息子が一人暮らしを始めるといって家を出た。2年前に結婚した娘に続き息子も家を出たことで、いよいよ夫婦二人となり、ますます隠居生活が身に迫ってきたことを実感するとともに、私は子どもたちに何か残せたのだろうかと今更ながら不安になった。意識して人生に役立つことを教えたり、名言を残したりした記憶もない。それならば、私が過去の経験やその時思ったこと、今考えていることや日常の出来事から思ったことなどを記録してみよう。子どもたちがこれを読んで何かを感じ取ってくれればうれしく思う。

 以上のような思考プロセスの結果、ブログでも書いてみようかと思い立ったのである。そうはいっても文才はないし、根気もないので、毎日はおろか週に1回書くことも怪しいが、まずは思い立ったときに思い立ったことを書いてみることにする。そして、いつか妻や子供たちに読んでもらえたら幸いである。読まれずに埋もれてもしかたがないとする。