やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

「風神雷神」を読んで、ちょっと芸術に興味が湧いた!

 「風神雷神」(原田マハ PHP文庫)を読んだ。作者の原田マハは、森美術館のキュレーターから小説家に転身し、ルソーやピカソを題材にした「楽園のカンヴァス」や「暗幕のゲルニカ」など、アート小説の第一人者である。私は、あまり芸術に興味がないのであるが、本作品は「俵屋宗達」が主人公というこで、歴史に興味がある私は、気になって読んでみた。

 上下巻合わせて800ページ以上のボリュームのある作品だが、文章がとても読みやすく、あっという間に読み終えた。しかし、読み終えた後も、この先の宗達の活躍をもっと知りたく、続きがまだまだ読みたくなるような作品である。

 俵屋宗達は、桃山時代から江戸時代にかけて活躍した画家で、「風神雷神図屏風」などの作品はいくつか残っているが、その生没年や人物像を示すものは何も残されていないそうだ。それゆえ、作者は自由に想像力を巡らせ、同時代の歴史上の人物や史実とうまく絡み合わせ、壮大な物語となっている。

 織田信長狩野永徳に絵の才能を見出され、原マルティノ伊東マンショ天正遣欧使節と一緒にローマ教皇に謁見するためローマに渡る。そしてミラノの教会の食堂で、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の「最後の晩餐」の壁画を仰ぎ見ながら、少年時代のカラヴァッジョと運命的な出会いを果たす。

 原田マハは、なんと言っても絵を描写する文章表現がすばらしい。かつて恩田陸が「蜜蜂と遠雷」で、その曲があたかも聞こえてくるような文章を書いたように、原田マハの文章も読むだけで目の前にその絵が見えるかのようである。「ふたりの姿には陰影があり、一方で、ふたりの頭上では光輪がまぶしく輝いている。そのためか、聖母が幼子を抱いたまま、板の中からすっと立ち上げってくるような気がする」

 また、絵の細かい描写もさることながら、絵を見る人物の心理描写がすばらしい。「そのうちに、なぜだがわからないが、涙がこぼれ落ちた」「せやけど、わてには見えました。なんやら・・・えらい・・・ええもんが」「それは、絵であった。それでいて、絵ではなかった。ああ、なんという・・・美しさなのだ・・・」。絵の描写と心理描写が合わさって、よりリアルさが伝わってくる。

 そして、絵を書くシーンの表現も緊迫感と迫力がある。宗達が信長の前で即興で絵を書くシーン。「水に放たれた魚のように、宗達の筆は生き生きと板面の上を泳ぎ回り、縦横無尽に飛び跳ねた」。狩野永徳の「洛中洛外図」を手伝い南蛮寺を描くシーン。「宗達の手は、握った筆は、そして心は自由闊達に動いた。黄金の画面は、瞬く間に生き生きと彩色されていった」。そして宗達が最後にカラバッジョのために風神雷神の絵を描き終えたシーン。「その瞬間、どこからか風が吹いた。そして、稲妻にように朝の光が鋭くきらいめいた。その風は、その光は、画室の中央に立てられた画架に立てかけられた一枚の絵から放たれたものだった」

 私はこれまで、芸術に関してはセンスも無いし、興味もまったく無かった。しかし、この本を読んで段々と興味が湧いてきた。調べたら「風神雷神図屏風」は、京都の建仁寺が所蔵しており、原物は京都国立博物館に保管されているそうである。しかし、常時見ることはできず、そのレプリカを建仁寺で見ることができるとのこと。

 この歳になって、ようやく絵に興味が湧いてきた。今後京都に行く機会があったら、ぜひ建仁寺に行って、「風神雷神図屏風」をこの目で見てみたい。そして感じてみたい。

 「この神々が現れるところ、雷鳴が轟き、疾風が駆け抜け、天地に光が満ち、恵みの雨が大地をうるおす」