やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

祖母の思い出

 5/3〜5に実家の名古屋に行ってきたのだが、ちょうど母親がアルバムの整理をしていた。その中に家族で旅行に行った写真があり、そこに祖母も一緒に写っていた。懐かしくなり、母親に思い出話を聞くと記憶が蘇ってきた。

 祖母は、私が生まれたときから同居していて、私が18歳に家を出るまで一緒だった。祖母は父方の母で、貧乏家庭だったため非常に苦労して子供たちを育てたと聞いている。父は1人になった祖母の面倒をみるため、結婚してから家に呼んで同居することになったとのこと。そんな祖母の思い出である。

 祖母は体が小さくて、見た目はかわいらしいおばあちゃんだったが、大きい声でよくしゃべり、結構気が強かったようである。おそらく私が生まれた頃は、まだ60代前半だったはずだが、母が言うには最初から見た目は「おばあちゃん」だったが、非常に元気な人だったとのこと。

 祖母は徳川家康が好きで、私の本名に「康」の字が使われているのは、祖母が徳川家康から取ったとの話を聞いたことがある。いつも祖母は日の当たる場所で座布団に座って、山岡荘八の「徳川家康(全26巻)」の文庫を読んでいた。私は当時、その本が26巻もあるのを知らなかったので、いつも同じ本をよんでいるような気がして、ちゃんとわかって読んでいるのだろうかと疑問に思って見ていた。(ごめんなさい)

 小中学校の頃は、夕方学校から帰ると、ちょうどテレビで時代劇の再放送をやっている時間で、いつも「遠山の金さん」や「水戸黄門」、「大江戸捜査網」などを一緒に見ていた。その頃から時代劇の面白さがわかるようになり、時代劇俳優も覚えた。私は杉良太郎がかっこよくて好きだった。

 相撲がある時期は、相撲も一緒に見ていた。今思えば、ちびまる子ちゃんのまる子とおじいちゃんの関係に近かったかもしれない。お互いそこまではとぼけてはいなかったが、結構仲が良く、わがままを言って甘えていたと思う。

 さて祖母と言えば、あるエピソードを思い出す。中学生の頃、菊の栽培の宿題があった。種からか苗からかは覚えていないが、各自育てて秋に花が咲いたころ学校に持っていって提出する宿題だ。毎日水やりをして、ついに花が咲いたときはうれしかったが、ある日事件はおきた。

 菊はベランダに置いたあったのだが、祖母が洗濯物を干すときにバランスをくずして、ちょうど菊の鉢の上に座り込むようにしりもちをついてしまった。菊は折れてしまい、宿題で提出できる状態ではなかった。しかし、祖母は鉢植えがあったおかげで、怪我をしなくて済んだこともあり、私は泣くに泣けなかった。

 さてどうしたかというと、母親が「うまく咲かなかった人は、みんな買ってきているって聞いたよ」と平気な顔で言って、花屋で似たような菊の鉢植えを買ってくることとなった。その頃は、そんないいかげんな時代でもあったのだ。宿題の評価がどうだったかは覚えていない。

 祖母が亡くなってから36年以上経つ。私が家を出てからは、どんな様子だったかはわからないが、聞いたところによると、ぼけもせず、まわりにほとんど迷惑をかけずに最後は静かに老衰で亡くなったとのこと。きっと生きている間に、ずっと徳を積んでいたのだと思う。