やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

「百億の昼と千億の夜」を読んで思考にふける

 「百億の昼と千億の夜」(萩尾 望都 原作:光瀬 龍 河出書房新社)を読んだ。SF作家の光瀬龍の原作を、漫画家の萩尾望都が漫画化したものだ。1977年に「週刊少年チャンピオン」に連載されていた。実に中学生の頃に読んでいたものの再読である。

 先日ブログで書いたが、恩田陸の「愚かな薔薇」の表紙に萩尾望都がイラストを書いていたことにより、読みたくなって買ってしまったものだ。読み直すと、ひとコマひとコマがすごく記憶に残っているので、当時はきっと何度も何度も読み返したのであろう。しかしながら、中学生には十分理解できなかった部分があり、今回あらためて読み直して、そういうことだったと理解できた部分もあったが、まだ理解不十分だと思える部分もある。

 なぜ世界が作られて、なぜ世界は滅びの道を進んでいるのか。誰がそれを仕組んだのか。弥勒菩薩は56億7千万年後の末世に救ってくれるというが、世界が滅ぶことがわかっているのに、なぜ造物主の転輪王は世界を作ったのか。プラトン、シッタータ、阿修羅王らが、それらの謎を追うべく時空を超えて戦いの旅にでる。

 私はこの漫画を中学生のときに読んだため、この漫画の世界観を無意識に信じている。宇宙の外側にはさらに大きな宇宙があり、さらにその外側にも宇宙があり、それが無限に続く。逆に極小の世界も無限にあり、目に見えない世界の中にも宇宙があり、またその中にも宇宙があり、これも無限に続く。

 時間がずれた世界もこれまた無限にあり、時間が少しズレただけで、違う世界がある。別の次元で、歴史が繰り返されているかもしれない。さらには、時間のスピードが違う世界もあるかもしれない。

 それでは、われわれの認識しているこの世界は現実なのか。人間が、いや自分だけがそう見えているだけではないのか。夢を見ているときは、これが夢という認識はない。そうなると、いまこの世界が本当に自分が認識している世界なのかも疑問になってくる。ふと気が付いたときに、実はまったく違う世界にいるのもしれない。

 お風呂に入った時に、泡が出来てすぐに割れて消えたのを見て思った。今この瞬間に宇宙が誕生し、そして消滅したかもしれない。もしかして、我々が生きているこの世界も、どこかで泡が出来て、それが消えるまでの世界かもしれない。そう考えていると、思考はどんどんふくらみ、考えがまとまらなくなってくる。そんなことを考えさせられる名作である。