やすぴか日記

日常の出来事と過去の思い出の記録

多様性の時代は来るのか?(父のコラム①)

 亡き父が残したコラムの原稿をブログ上に残し、それに対する補足や感想を述べていきたい。その1つ目を掲載する。

<友達は宝だよ ー新緑を赤く塗るー>

『昭和二十二年の新緑の日曜日の話である。親友N君はカソリック信者で、私は社会主義かぶれの青年だっから、よく言い争った。ある日無理にN君をさそって写生に出掛けた。帰ってからN君の絵を見て、私はがくぜんとした。N君の絵は赤一色であった。私はN君の紅緑色盲を忘れていたのである。その夜私はねむれなかった。N君はいやな写生を、仲直りのためにつき合ってくれたのである。私が共産主義から離れ、人の世の価値の多様さを学びはじめたのはN君のおかげである。』(父のコラムより抜粋)

 調べたところ、昭和22年(1947年)当時の日本は、戦後のGHQの占領政策の中で民主化が推進されたため、日本共産党が合法化され、労働運動が過激化した時代である。後に聞いた話では、父も会社の中で労働組合の運動に力を入れていたようである。

 主義主張が違って議論することは良いと思うが、歴史上はそれが戦争になったり、差別や弾圧になったりしてきた。社会生活においても、これまで多数派が生活する上で便利なように発展してきたが、障害者やLGBTQなどの少数派(マイノリティー)が住みにくい世の中になっていた。

 しかし、何が正しくて何が正しくないかはその時代の権力者によって変わるし、何が正常で何が異常なのかは本来区分けできるものではないと思う。

  最近では、世界的に多様性(ダイバーシティー)のある社会を実現しようという動きが大きくなってきており、日本でも企業や学校が具体的な取り組みを進めているところも増えてきたようである。

 一方で、多様性とは真逆の方向に進んでいる動きもある。世界では今でも思想が二分され、欧米対中ロ、トランプ対反トランプなど、対立をあおる風潮になっている。また、人種差別や強制労働も依然として無くならない。ネット社会においても、自分と考えが違う人を、必要以上に批判したり、糾弾したりする風潮がある。

 多様性のお題目を唱えることも重要であるが、個人個人が本当に実感し、当事者同士が気付かない限り、多様性の時代を実現するのには時間かかるのではないだろうか。

 父は75年前に、自分の体験から身を持って多様性を学んだ。まずは、すべての人が身近な目の前にいる人を、お互いに尊重することから始まるのだと思う。もちろんこれは、自分への戒めでもある。